隣町で働いていた男が別の隣町で借りた車に乗って歩行者天国に突っこみ、何人もの人を刺した。
その事について 「自分の存在感を示すためなんでしょうね」 みたいなことを高木美保がコメントしていたり、犯人の両親へのインタビューで各局を代表してマイクを束ねていたアナウンサーが質問したことが 「加害者の親としての責任をどう考えているのか」「事件は防げなかったのか」 だったり、テレビのやるべきことはそういうことなのか?
犯人が犯行に及ぶまで携帯の掲示板に書き込んだ言葉を必要以上に投げやりで不気味な声で読んでみたり。 本人でさえ声に出していない言葉になぜそういう演出を加えて報道するのだろう。
で、その掲示板の書き込みを観ていたら、後半 「彼女がいない」「彼女がいれば」 というのが続いていたことに驚いた。 彼女が欲しくて欲しくてしょうがないしかしできない苛立ちの結果がこれか。
その他にも仕事がうまく行かないことなどが書いてあったようだが、大抵の人間は仕事のことと異性のことで悩んでいるのだ。
子供にとっては遠足が雨で中止になったことがとても悲しいように、「物事がうまく行かない時にそれをどのくらい痛く感じるか」 というのは感じる側が 「だってすごく痛い」 と言えばそれまでだし、たぶん本人は実際痛いのだろうが、人を巻き込むな。