いいねえ、花田兄弟のケンカ。報道では「貴乃花はまだおかしいんじゃん」って言ってるようなもんだけどね。藤田憲子が「仲のいい兄弟に戻れるよう、皆様にも助言して頂いて・・・」という「皆様」が誰を指すのかはわからないが、報道陣達はそれを自分たちのことだと思ってるかも。だとしたらもっとこじれるよ。
「喪主のあいさつに拍手が起こる」って普通だっけ?それはさておき、今回二子山親方の場合もそうだが、出棺の時にBGMがかかるシーンをよく見る。いつから始まったことなのか。
「故人が好きだった曲で送ってやりたい」とか「かけてくれと言っていた」ということはあるだろう。しかし、私がドアーズの「ジ・エンド」が好きで、絶対かけてくれと言い遺したとしても、私の遺族はきっと「これはさすがに・・・」と参列者や葬儀の雰囲気を気にして二の足を踏むに違いない。
無粋だが「その曲が好きな本人はもうそれを聴くことはできない」と割り切ってしまうと、「ジ・エンド」はダメだ、と判断したり「だったらこの曲で」などとなにがしかの「BGMを流す」というとき、あくまでも遺族側は「場がその曲の醸す雰囲気に包まれること」を覚悟・容認しているわけだ。葬儀社が特に遺族の承諾なく曲を用意した場合も葬儀社は「そういう雰囲気を出すこと」を期待、までは行かなくても意図はしている。発信元は違っても「曲で雰囲気を演出している」ことには変わりない。
高校生の時、ウォークマンを(友達に借りて)初めて着けて自転車に乗ると、別に素敵な思い出なんかあるわけではない近所の風景が急に魅力的に見えた。バカだ。バカだが楽しかった。
「日常の風景がBGMでドラマチックになる」という魔法は確かにある。あるが、それは「自分だけが浸るもの」にとどめておいて欲しい。最近みんな「演出過剰」だよ。あと高校生、いくらノリのいい曲でも信号のない交差点では止まれ。