日本テレビ、大杉(旧姓・鈴木)君枝アナウンサーの自殺というニュースが痛々しい。 原因となったのではないかと言われている難病の凄まじい症状を知ると言葉もない。
アナウンサーがバラエティ番組で芸人やタレントと絡む場合、
「あくまでも私はアナウンサーですので」 というキリリとした顔のままでいるのが好きだ。 「ひょうきんベストテン」 での山村美智子、寺田理恵子、長野智子などのように完全にからかわれておもちゃにされていた(セクハラとかされてたよなあ)のはちょっと違うかも知れないが、時は過ぎ、アナウンサーがただ単にバラエティ番組の司会進行を務めるのみならず
「ふざけた番組ですが私がこの番組の良心として振る舞っていきます」 というスタンスを貫く、つまり 「マジメで不真面目を際立たせる」 という役割まで織り込み済みでマジメを担うのは今や当たり前になった。
しかし
「ふざけた番組をまじめな顔して進行している私は面白いでしょう」 という 「お笑いに対する色気」・「お笑いに加担しているという自負」 みたいなものが透けて見えることがある。 電波少年全盛時の日テレでのこれに類するようなバラエティ番組でそれは顕著だったし、フジテレビの佐野瑞樹アナなどはもう顔が芸人である。
「あわよくば人気者に、そしてフリーに」 とまで思ってるんじゃないかと想像してしまいイヤーな気分になる。
最近は入社させる時点で既にニュースなんか読ませるつもりは毛頭ないだろうというアイドル的なアナウンサーを採用してみたり、各局の戦略というのはどうなっているのかわからないが、どうもアナウンサーのそういうバラエティっ気みたいなのを感じると 「おまえに任せたつもりはない」 と思う。
ビートたけし、所ジョージ、東京進出間もない頃のダウンタウンらの番組に出ていた時の鈴木君枝アナは、たとえかぶり物を身につけていたとしてもそういう心意気的な点でアナウンサーのまま、自然だったような気がする。 ご冥福をお祈りします。
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